自分が採用面接のときに「何を一番大切にしているか」という質問に、何を答えたのかすっかり忘れてしまったのですが、最近では「相手を不快にしない」という事を重要視しています。
理由は単純で、「相手を不快にすれば殺されるかもしれないから」です。
大袈裟だと笑われそうなので口に出した事はないのですが、笑い事ではありません。殺人事件の多くは顔見知りの犯行ですし、その中で理由の無い快楽殺人なんてごく一握りなのですから。

ではどうすれば良いのでしょうか。冒頭で述べた通り、他人の恨みを買わない事、相手を不快にさせない事が一番です。
一方、最近気付いたのですが、「自分の経験を否定される」というのは、とても不快な事です。

無意識に相手の経験を否定してしまっている人も居るかと思います。
どのような事を心掛ければ良いか、自分なりの考えをまとめました。

それは事実でしょうか、意見でしょうか?

今日の話はこれに尽きます。

何故なら、相手の話を否定する事自体は悪い事ではないからです。
例えば、何かを決定する際に、事実だけではなく会話参加者の意見を取り入れて取捨選択しなければならない場面は多くあるでしょう。

私達に必要なのは、「今相手が事実や体験を語っているのか、それとも本人の意見を述べているのか」を聞き分ける能力です。

大前提:本来は話し手の責任

いきなりですが此処で注釈を入れておかねばなりません。
本来、相手に話の内容が正しく伝わっていない場合は、それは話し手の責任です。

ですので、客観的事実やソースのある情報を話しているのか、自分の意見や憶測を言っているのかが相手に正しく判断されていない場合は、しっかりと区別できるような話し方をすべきです。
例えば、

  • 自分の意見を言うときには「これは私の意見ですが~」「~と思います」と言う
  • ソースがあるなら提示する

等です。

オオカミ少年の話を聴け

ですが、「本人の経験談」については、会話の途中で「事実」であるという事がはっきり判らない、という事は少ない筈です。

例えば話し手がいつも話を盛る人で、その話の真偽が怪しい場合でも、憶測で「そんな事は無い」と否定して良い事にはなりません。
オオカミ少年は確かに嘘をついていましたが、最終的には本当にオオカミがやってきていたのですから。

話し手が「事実」として話している以上、否定する側も事実に基づいた発言でなくては話し手が不快になるでしょう。
その内容の真偽の検証は、必要であれば行うべきですが、その結果が出るまでは誰も偽と決めつける事はできません。

勿論、「自分はそんな事は無いと思う」と意見するのは自由です。
しかし、そう言われた側はどう思うでしょうか? 自分は実体験を話しているのに、まるで嘘つき呼ばわりされたように感じるでしょう。

経験を否定する事の問題点

この話は世間話をしていて、相手(私)の話をとりあえず否定する癖のある人が居るな、と思って私の考えをまとめたものです。
私も相手の意見を否定しがちだと指摘をされた事がありますが、経験を否定した事は無い(と思う)のできっとセーフ。

世間話で否定されるだけなら「うわなんやこいつ」で済むのですが、少し状況を変えて考えてみましょう。

部下<部長、ちょっと相談が…
部長<どうしたの?
部下<実は、先輩からセクハラを受けていて…
部長<えっ。セクハラなんて無いでしょ。だって現場を見た事ないもん

どうでしょうか。このやりとりを読んで「何も問題が無い」と言う人はまず居ないと思います。
しかし、この会話のまずさの本質も、経験の否定そのものです。

部長がセクハラ現場を見た事が無い、これはきちんと根拠があると言えるのではないか、と思う人もいるでしょうか。
部長が四六時中、部下を見張っている訳でもないでしょうし、もしかしたらメールやLINEでセクハラをされているのかもしれません。

検証材料としては、部長一人の経験のみでは弱いでしょう。
当然、部下一人の経験談だけでも先輩を悪者にするには情報が足りません。真偽検証が必要な場合は証拠を残す事が大事ですね。

しかし、部長が此処で「セクハラなんてない」と否定してしまうと、部下の被害はますます大きくなります。
「不快」で済まされる話ではなくなってしまうかもしれません。

大袈裟な話から始まり、大袈裟な話で終わりますが、コミュニケーションの問題というのは程度は違えど本質が同じ事が多いように思います。
少なくとも内容の真偽検証は切り離して会話を進める事が大切なのではないでしょうか。

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